私の目指したゴール
子育てをした、なんて偉そうに言えるほど私はできた人間ではありません。
と言うか、「子育て」という言葉自体、言うのにもちょっと躊躇します。
そんなに色々してあげたわけではないし、
思い返せば、自分のしたことに後悔がたくさんあります。
本当にたくさん、たくさん、あります。
もし、
「自分の親としての成功度をパーセンテージで自己評価してください」
といわれたら。。。
たぶん、20%くらいでしょうか。
• 健康、安全に気を付けて成人するまで生かせたー10%
• なるべく努力して健康な料理を作ったー10%
赤ちゃんの時には何度も息をしているか確認したり、
上の息子が10歳になった時には二けたの年齢になるまで、死なずに育てられた!
と、あまりにもうれしくて、飲めないお酒を飲んで盛大に酔っぱらいました。
子供が無事成人した今、振り返って、親としてなにが自分の目標だったのか考えてみました。
- 自分の面倒が見れる
- 基本的な日本語の知識がある
- 幸せを感じる能力をもつ
ひとりでできるもん
1 自分の面倒が見れるとは
- 自分の体を健康で清潔に保つ
- 自分で料理ができる
歯を磨き、体をきれいに保ち、けがをしたらその手当てができ、具合が悪くなったら適切な処置をして体を休める。
食事に関しては、基本的な栄養知識があるのはもちろん、
• 御飯
• 味噌汁
• 目玉焼き
が作れる、を十歳になるまでに到達すべきゴールとしました。
野菜、果物をバランスよく食べる大切さ
ご飯ちゃんと食べてないと、身体的だけではなく精神的にも影響がでる
なんてことも知っていて欲しい。
食育、みたいな考えがないアメリカで育つので、やはりプラスアルファとして、教えるべきだと思っていました。
ご飯は炊飯器がないのを予想して鍋で炊く
(アメリカで炊飯器ある家庭って結構まれです。アジア人以外は)
味噌汁にはありとあらゆる野菜を入れ、栄養価を高くすれば一品でバランスの良い食事ができる
目玉焼きはもっともベーシック、かつ安価で栄養価あり、野菜ではあまりとれないタンパク質もとれる
(今卵、高いですけどね)
もし仮に私や夫がいなくなっても、自分を健康に保つことができる、その知識を持っているように。
日本語しゃべれるといいな
2 基礎的な日本語知識がある
私の家族は、
日本に移住する予定なし
子供たちはアメリカの公立の学校に行く
アメリカで今後もずっと生活する
という条件です。
幸い日本語学校がある地域だったので、
私の当初の目標は小学三年生を終了できたらいいな、というものでした。
小学三年生までに習う漢字の数はおよそ440
• 小学1年生:80字
• 小学2年生:160字
• 小学3年生:200字
常用漢字は、2,136字だそうです。
日本の新聞を読むにはおよそ2500個の漢字を知っていればいいそうです。
新聞は読めなくてもいいですけど、日本の家族とせめて日常的会話ができるようにしたい。
ということで、日常会話を理解し話せるのを第一の目標としました。
息子も娘も小学校の三年までは、毎週土曜日に日本語学校に通いました。
現在は日常会話なら問題なく、私とも、日本の家族とも意思疎通ができます。
そして、日本語で手紙を書けます。
基礎ができていれば、あとで自分でもっと勉強したい!と思ったらできますしね。
「私の子供も、日本語を話して欲しい!」
完全に、ただ単なる私のわがままです。
もし子供が
「いやだ」
と言えば、無理強いはしなかったでしょう。
個人により、言語能力は生まれつきの素質があると私は思っています。
私の子供は二人とも、英語の発達に問題なく日本語を同時に学習することができました。
でも、もし英語に遅れが出るようだったら、日本語を同時期に習わせることはしなかったです。
幸せってなんだっけ
3 幸せを感じることができる人間になる
私自身がそうではなかったので、誰もがみんな生まれつき幸を感じる能力がある、とは思っていませんでした。
(記憶がある限り、私はいつも自分を不幸に思っていました)
どんなに幸運な状況にあっても、幸せを感じられない人間は確かにいるのです。
幸せを感じる能力は、私の中では、スキルの一種、と考えていました。
住む家があり、食べ物があって、安全に眠れる場所がある。
それが世界的に見れば普通でないのは、他の状況を知らなければ、思いもしないでしょう。
自分の状況を当然だと考えていたら、今を幸せとは感じられないかもしれません。
今自分が持ってる物すべては当たり前ではなく、持っていない人も世の中にはたくさんいる。
そして、もしかしたら、自分も失ってしまう可能性がある、
と考える想像力があるのは、大事だと思いませんか。
自分が今持っている物、状況を感謝して受け取る。簡単でしょうか?
感謝しろ!とだけ言われて、心の底から思うって、たぶん結構難しいですよね?
周りの人に感謝して、いつもの日常を当たり前だと思わない。
現況に不満を見つけるのではなく、小さくても幸せを感じ、
そして、すべてのものに対して「ありがとう」、と言える人になって欲しい。
生きててくれればそれでいい
息してくれてれば、私は幸せ
親になった時点で、自分の子供にどんな人間になってほしいか、各々思いはあると思います。
私も、
「強く 他人に思いやりのある、優しい人に育ってほしい」
と思っていました。
そして、私の親としての能力値の低さに関係なく、二人とも立派に、強く優しく、他人を思いやることのできる人間に成長しました。
これは本当に私の育て方云々ではなく、
もって生まれた気質だと思います。
その点で私は本当に恵まれているなあ、と感謝しかありません。
でも、結局、こどもが息をして、生きていてくれたら、それだけで十分。
生まれてきてくれただけで、ありがとう。