注意書き
こちらは下記のアメリカ生活を選んだ後悔。「日本に戻っていれば、私たちはもっと幸せだったかもしれない。」というユーチューブを視聴した時の感想で、ちょっと前に書いたものです。
ブログに載せるのはやめようと思っていましたが、このブログ自体が私の日々の記録でもあるので、載せておこうと思います。
後で振り返った時に、あの時、こんな風に考えてたのね、と見返せるように。
かなりだらだらと分かりにくい文章だと思いますのでご了承ください。
心がざわついたユーチューブ
あの時の選択を後悔している
海外生活者の皆さんでしたら、たぶんご存じの有名ユーチューバーさんのチャンネルです。
国際結婚された方の、アメリカ生活を選んだ後悔のタイトルで動画をアップしていました。
なんか、タイトル見たとき、あまり気は乗らなかったのです。そして、聞き始めると、心がざわざわして途中で見るのをやめました。
最後までみたら、もしかしてこのお話のご本人も、明るくお話をまとめているのかもしれません。
でも、どうして私が聞くのがつらくなったのか考えてみました。
私は幼いころから少しばかり感受性が強すぎる傾向がありました。
今でも、誰かがつらい思いや、ひどい経験をする本、映画などすべてのものを避けます。
今はニュースも。。。この件についてもいつか書き留めたいと思います。
なんなら、エースを狙え!で岡ひとみがお蝶夫人やその取り巻きに練習中ちょっと辛くされた場面にも耐えられず、ベットの下に隠れて、耳をふさいでいたレベルです。
今はHSPとして広く知られているのに近いかと思います。
(HSPは、Highly Sensitive Personの略。生まれつき感受性が強く、刺激に敏感な特性を持つ人)
今回の方は、アメリカ人と国際結婚した方で、自分の境遇と似ているため、早々につらくなって聞くのをやめた、とも思えます。
でも、実は動画のタイトルを見た時点で、少し違和感をおぼえたのです。
タイトルは、アメリカ生活を選んだ後悔。「日本に戻っていれば、私たちはもっと幸せだったかもしれない。」
実際にご本人がこの上記通りを書いていたのかは分かりませんが。。。
結局どちらを選んでも後悔する
人生の選択肢
人生の後悔って、結局どちらを選んでも多かれ少なかれするもんだと思います。
なぜなら選ばなかった道の先に何があるかは、そうでないほうを選んだ自分にはずっと分からないから。
もしあの時違う道を選んでいたら。。。以前は考えたこともあります。
でも、現在は基本的に今の生活が幸せすぎるので、あまりあれやこれや考えません。
「こっちを選んでなかったらどんな人生だったんだろう?」、なんて、考えもしないほど、自分は幸せなんだな、とつくづく感謝します。
選ばなかった道の違う選択肢の先には、今の状況よりも、もしかしたらもっともっと幸せな人生が待っていたかもしれません。
でも、苦しんだ時期を含めて、今まで選んできた一つ一つの選択が今の自分の生活や自分の心の持ち方を形成したのです。
そう考えると、苦しみさえ必要だったんだんだな、と思えます。
(まさに喉元過ぎれば熱さを忘れるですね、その当時は生きているのを放棄したいほど苦しんだのに)
あの時ああしていればよかった、と思いをはせることは理解できます。
でも同時に、厳しい言い方をすると無駄、と思ってしまったのです。
もちろん、私が受け取ったよりも軽い内容のお便りだったかもしれません。
「私は後悔しているから、他の人は気をつけてね」と、警鐘を鳴らす的なお便りだったのかもしれませんね。
だれでも、ああしとけばよかったな、って後悔することもちろんいっぱいありますしね。
そして、もしかしてこの動画のタイトルは、発信者さんがつけただけで、意訳かもしれません。
実際にこの方が、今も激しく後悔し続けていないことを祈ります。
高慢ちきな私
意識していなかった高慢ちきな私
「そういう考えって無駄じゃない?」なんて考えを持つこと自体、自分が今恵まれているからできることですよね。
自分のラッキーさに感謝こそすれ、そう思い悩んでいる人を自分基準で断罪するのは奢った考えです。そして、その考えこそ非難されるべきだと思います。
私はもともと悲観的な性格で、物事をポジティブに考えるのは苦手なほうでした。
というか今も、pessimistic日本代表選手権があれば、かなり上位に食い込める自信があります。
でも、そんな悲観的なわたしでさえ、過去の失敗や自分の行った行動に関して過ぎ去ったことに今後悔しても仕方がない。
それよりも、今持っている現状で何ができるか考えよう!
という結論にいつかたどりつくのではないかと、とっさに思ったのです。っていうかそうなって欲しい。
もちろん、その考えにたどり着くのに時間がかかるのはわかります。
でも最初のお話を聞く限り、かなり昔の選択の話をしているようでした。
だから、意地悪くも、こう考えてしまったんです。
そういった考えにたどりつかない人は、実際にどんな恵まれた状況にあろうと、現状に満足することはないのではないか。
どんな状況下でも過去を後悔するのではないか、と。
私自身が、「あのときの選択は間違えていなかった。」と思える現実。
今、幸せだと感じることができるのは、周りの、または見も知らない他人からも助けられた結果です。
決して自分の努力だけではないと分かっているつもりなのに。
しかもこの発言したご本人の状況も何もしらないのに、「過去のことを後悔しても仕方ないじゃん!」
ってとっさに思ってしまうのは、どう考えても共感力も、想像力も欠如しています。
もしかしてこの方のご家族、たとえば子供に、アメリカで暮らしていて何か危険なことが起こったのかもしれません。
自分の子供に自分の下した判断のせいで、取り返しのつかないことが起こったら、本当に悔やんでも悔やみきれません。
でも、「こっちを選んだらもっと幸せだったかも」に対して、最初に出てきた私の反応は、まさに共感力にかけたものだったのです。
私の心がもやもやして、最後まで動画を見ることができなかった原因。
過去の出来事や、自分の選択を後悔する人に対して、「今そんなこと考えてもどうしようもないじゃん」と考えてしまった。
そう、自分の高慢さにびっくりしました。
誰か自分の大切な人が、もし自分が過去の選択を後悔している時、なんといってあげたらいいんでしょうか?
過去は変えられない。でも、現在や未来は変えることが出来るから、今できることを考えよう。
過去のことではなく、今とこれからの未来を見ていこう。
そして、今もっている物に感謝しようよ。なんて、使い古された言葉しか思い浮かびません。
全く関係ないですけど、高慢ちきのちきってなに?って思って調べました。
下記のように出てきました。なるほど。
ちき:[接尾]人の状態を表す語に付いて、そのような人、そのような奴の意を表す。「高慢ちき」「とんちき」
とんちき。。。のとんってなんだっけと思ったら、
そうか、とんまのとんか。
とんま、とんまってなんでとんま?って調べたら、まぬけ、と出てきて。。。とんま、まぬけってしりとりみたいだなと。ここでやめときました。
とんま《名ノナ》(よくへまをして)非常にぬけていること。まぬけ。
世の中の普通や、正論
私の普通と世の中のあたりまえ
いわゆる正論、その人自身の正義を振りかざす人が私は苦手です。(好きな人はいないと思いますが)
また、想像力に乏しく、他人の状況を慮ることができない人も苦手です。
過去のことを後悔して、
「違う道を選んでいたら、もっと幸せだったのかもしれない」
と言っている人に対して、
「でも、今もまあまあしあわせなんじゃないの?だったら別にもう過ぎたことをわざわざ考えなくてもよくない?」
と返答する。
まさに正論をふりかざし、想像力のない人間がしそうなことです。
人間は、今の自分の状況や、自分が育ってきた家族や人生、そんなものから影響を受けますよね。
そしてそれをもとに自分の「普通」や、「あたりまえ」がつくられる。
私にとっての今現在の「普通」や「あたりまえ」にそった発言で、誰かを傷つけることがあるんだろうな、と考えさせられました。
過去に起きたことや、過去の選択を後悔して、そして、その事実から今現在も苦しんでいる人がいたら、多分何も言わずに、寄り添って、できれば抱きしめてあげたいです。
そして、これも月並みな言葉ですが、
「大丈夫、きっとなんとかなるから」、
と、何の確証もなく、言ってしまうんだろうな、と想像します。
でも、生きてさえいれば、どうにかなるんです、というか、なるようにするしかないんですよね。
そんなわけで、過去の出来事に苦しんでいる人に寄り添えない自分を発見して、心底びっくりした日でした。
幸せバカ
自分が恵まれた状況で、幸せだと感じられる今。
私の無知や傲慢さでこれから誰かを傷つけることがないように謙虚な心を忘れないようにしたいと思います。
幸せで満たされているからこそ、他の人の苦悩に無神経になってしまうことがあるんだな、と考えさせられました。
幸せ太りならぬ、幸せバカとでも言ったらいいでしょうか。共感力ゼロな自分の反応にびっくり、がっくりした日でした。
そして、改めて自分の気持ちを文章にしてみるのは良いことだな、と思いました。
この「もやもや」したものが何だったのか、文章に書き始めて明確になりました。
日常生活においてもつ、自分の気持ちとか思考って、かなり突き詰めてみないと分からないものだなと。
特に私は「もやもや」をそのままにしてしまうチャンピオンなので。
最後に、
過去に自分の下した判断を後悔されている方が、もうこれ以上ご自分を責めませんように。
下記の言葉も、今まさに苦しい思いをしている人にとっては、余計なお世話だ!と受け入れられないかもしれないけれども、今ここにあなたが存在していること自体が奇跡のようなものなんです。
Count your blessings.
どうぞご自分を愛して、そして今持っているものに目が向く日が来ますように。