注意:タイトルの通り、私の記録として日記的なことを書いています。
ブログを書き始めて、自分の思考を文章にするってたいへんだなあ、と改めて感じています。
文章を書くって、思ったよりもだいぶ時間がかかります。
時間をかけて何か書くのであれば、少しでもどなたかの役にたつ情報がいいな、と思っていままで書くよう努めてきました。
そんなわけで、頭の中に何か書きたいことがうかんでも、
「いや、別に誰の得にもならんし。」
って思って、結局何も書かない、書けない。
誰かの役にたたなければ存在しちゃダメ的な、とっても自己肯定感の低い発想です。
私は、
「自分のこの小さな脳みその中で起こっていることをうまく言語化したい。
的確に文章にしたい。」
という思いがあり、ブログをはじめました。
文章は、あたりまえですけど、書かないと上手にならないですよね。
上手に文章を書けるまで待ってたら、いつまでたっても書くのをためらって、何も書けないままです。
しかも、自分の作ったブログで、自分で自分に制限をかけて、何書かなきゃ、と思う自体おかしなことです。
そんなわけで、他の方にはまったく興味のないことでも、自分の記録として日記のカテゴリーにて書くことにしました。
つたない文章でも、少しずつ書いていく度に、少しはよい文章が書けるようになりますよう、と願いを込めて。

Retirement生活どう?
仕事を辞めてからもう一年と半年以上がたちました。
でも当初予定していた断捨離は、あまり進んでいません。
一年半ってかなり昔ですよね。。。
一年半前に生まれた赤ちゃんは、もうすでに歩いてて、なんなら、奥歯まで生えてきているはずです。
鼻歌うたいながらスキップ
最初の数ヶ月は、
「朝起きて仕事をしなくていい!しあわせ!!!」
を脳内で繰り返し、さらに、夜寝る前に
「明日仕事ですることを考えなくていい!」
と、ハッピーな気持ちいっぱいで、毎日本当に鼻歌うたいながらスキップしてました。
人って本当に鼻歌うたいながらスキップするもんなんだな、と感慨深い思いでした。
どれだけ仕事が私の生活に重苦しい影響を与えていたのかわかります。
以前の自分を振り返る
仕事の憂鬱
私は自分の仕事における能力は、平均より少し下、と思っています。
もともとの頭脳が残念なことによくはないのです。
だから、その分を努力で補い、間違えないように神経を使って仕事をしていました。
それでやっと普通の人があんまり気力を使わないでできる作業能力と同等くらい?に到達していたのです。
ありがたいことに仕事場では、よい評価を頂いていました。
でもそれは、たぶん普通の人があまりストレスなくできるタスクを、私は自分に鞭をうって、やっとできていただけなんです。
まるで鶴の恩返しで、つるが自分の羽を抜いていたみたいに。自分がダメージを受けてやっと普通の人ができることをやってた、みたいな。
仕事がストレスなのわかってました。でも、たぶん自分が思うよりも、もっと、ストレスだったのだろうと思います。
仕事するだけでじゅうぶん自分に負荷かけてるのに、それに以上に人間関係で多大なストレスを受けたら、そりゃ、
「いや、もう無理、まじで。」
ってなりますよね。
現在、仕事をしなくていい生活を、毎日幸運に感じて、自分の状況に感謝しています。
仕事が生きがい!とかやりがいを感じる方もいるのは重々承知しています。そして、うらやましいな~、と思います。
そういった方は、もともとの能力が高くて、処理能力がすぐれているんだろうな、と思います。
私みたいに、気力と体力を限界まですり減らしてやっと及第点取れる処理能力の人間には、仕事を楽しむって無理な気がします。。。もちろん、どんな仕事なのかにもよりますが。
現在の私
現在の幸せな状況にいるに値するのか?
以前から、何となく50過ぎたら仕事やめてー、と思ってました。
そして、実際、経済的にも何とかなるんじゃない?と軽い気持ちで思っていました。
でも、実際そうなってみると、
「えっ?ほんとう?なんかの間違いじゃない?」
ってなったんですね。
スキップしながら頬をつねる私
実は今年前半まで頻繁に、
「私、こんなに幸せでいいの?これなんかの間違いじゃなくて?」
って頻繁に思っていました。
考えてみたら、去年は、
「仕事しなくてよい幸せで足でウキウキ スキップしながら、でも自分の幸運が信じられないので右手で常にほっぺた引っ張ってる感じ」
だったのかもしれません。
最近やっと、今までの自分の頑張りをちゃんと認めてあげて、
「よく頑張ったね、もう好きにしていいんだよ。」
と、言えるところまできたのかな、と思います。
自分にとってのしあわせを考える
幸せってなんだっけ?
今の幸せ、特に健康に問題ない状態がいつまでも続くわけではありません。
人は人生のステージにより、求める幸せが違うのではないかと思います。
究極的にいったら、私の幸せは、子供たちが幸せで健康にくらしていけることなんです。
でも、もしそれ以上望んでいいよって言われたら、自分の望みはなんだろうと、わりと本気で考えてみました。
(ガチで本当の本当に何が望み?って、自問してそうで、実はしていないことかもしれません、ぜひおすすめします)
- 大事な人とおいしい食事を食べてよい時間をすごす
- 好きな物に囲まれて生活する
- 自分の思考を的確に文章で表現できるようになりたい
ドバイの高層マンションで召使付きの生活をして、移動はすべてプライベートジェット、みたいな今の経済状況ではとても無理な夢ではありません。
大体、私の幸せって、GoodWillで掘り出し物の家具を見つけて自分でペンキ塗ったりすることや、Targetでかわいらしい小物をセールじゃない(値下げされていない)ときに清水の舞台から飛び降りる心持で買っちゃう!とかなんです。
今年の初め、数年間欲しかったシルク100パーセントの美しいローブをやっと買う踏ん切りがつきました。
毎晩そのローブを手に取る度に、そのかわいらしい色と手触りにものすごい幸せな気持ちになります。
確かスヌーピーに
Happiness is a warm puppy.
しあわせは、あたたかい子犬。
ってありましたけど、自分の手の中に、心を温かくさせるものをもつことが出来るって、本当に幸せです。
もちろん、それ以上に、物質ではなく存在を思い浮かべるだけで自分を幸せにしてくれる家族、パートナー、友人がいるって、これ以上ない幸せだと感じています。
50歳過ぎてやっともろもろの責任から解放された喜び
結婚して30年以上たちますが、現在が一番夫との関係はいいです。
思うに私が大きなストレスを感じていないからだと思います。
子育て、仕事、人間関係、その他もろもろ、人が生きていくに付随してくるすべてのものに、ストレスを感じていました。
もちろん、皆そうだと思います。
でも、私は、一般的な人に比べて、かなりストレスの耐久度が低いのだと思います。
(これも気が付くのって難しいですよね。。。)
子供がいる幸せは、何事にも代えられないものですが、それにくっついてくる責任というのは、かなりハードです。
生きていくためには仕事をし、お金を稼いで生活しなくてはいけません。
そんなすべての人間が生きていくのに最低限必要な事柄さえも、私を息絶え絶えにさせていたんです。
人には恥ずかしくて言えませんが、私が小さい時に唯一持っていた将来の夢は、専業主婦になることだったんです。
図らずも、下の子どもが5歳の時からずっとフルタイムで働き続けました。
今現在、小さい時に夢だった状況になれて、本当に幸せです。
自分の状況他人に言う?
こんな、
「私、本当の本当にマジで今幸せ!」
って、お友達とか、家族にもなんだか言うのが憚られます。
(っていうか、ここで書くのもなんだかちょっと躊躇します。)
私は自分の性格が生まれつき壊滅的にやられているにも拘わらず、少数ながらも大変心の美しい友達に恵まれています。
でも、彼女たちの現状況を知っている為、
「やー、仕事しなくていいってマジ天国!」
とは、やはり言いずらいのです。
もし自分が同じ状況にいたら、いいなー、私もそうなりたいわ、と思い、
「よかったね!」
と心から言うと思います。
でも、自分の状況が悪く、苦しい立場にいたのであれば、
「黙っとれや!」
と思う可能性もありかな。。。
何よりも、万が一でも彼女たちに嫌な思いをさせたくありません。
なので、
「本当に幸せ!」
って、毎日夫に言っています。
過去何度も、違う道を歩むべきかも、と思い悩んだ夫と、こんな関係になる日が来るとは思いませんでした。
これからまだ長い人生(たぶん)、何があるか分かりませんが、
今は、
「すっごい幸せ!」
とスキップする毎日を楽しみます。
幸せを感じる
私の場合は自分に向いていない仕事をしていた為、毎日10時間ほど費やしていたその時間を、今度は 家で好きなことをするという、
「本当に私をハッピーにすること」
に時間をさけるようになって最大化した幸せですが、
仕事をしている間も、
- 自分も家族も健康で幸せ!
- おいしいものが食べれて幸せ!
- 自分のベッドで眠ることが出来て幸せ!
- 快適に過ごせる家があって幸せ!
と、幸せは毎日の生活に確かにたくさんあったのです。
幸せを感じることができる人間になる
上記でも書いた、どんな状況でも幸せを見つける能力が初期設定ではなかった私です。
毎日 意識して、自分のラッキーさに感謝していても、重くのしかかる仕事の存在は本当に大きかったとしか言えません。
自分に合っていない仕事なら、他の職種にいけばよかったというガチまっとうな選択肢があることも知っていました。
その道を選ばなかったのは、
- 本来なら私の能力で雇ってもらえるはずのない大きな会社だった
- それ故、福利厚生がよかった
- 尊敬できる上司や、周りの人にものすごく恵まれていた時期が長かった
- 評価してもらってなかなかよい待遇をしていただいていた
為と、あとはもうシンプルに今から新しい仕事を覚えられる気がしなかったせいです。
当たり前のことですけれども、幸せとは、周りからもたらされるものではなく、自分から積極的にチャンスをつかみに行って得られるものなんでしょうね。
「えいやっ」
と、勇気をだして仕事を変えて、その先に
自分にあった素晴らしい仕事で生き生きと人生を楽しむ!
ことも選択肢にあったのは確かですが、
今100% 幸せなので、
「これでいいのだ」
と天才バカボンの天才的な名言で締めたいと思います。
皆様が鼻歌をうたいながら、スキップするような幸せな気持ちになりますように。